未来とエビス
椅子に座って、小説を読んで、オードリーのANNを聞いていた。
今日の夜には両親に今後の生活をどうしていくか説明しなさい。と言われている。
僕はまだ何も決めていなかった。
とりあえずフリーターになろうと思い目をつけていた、コンビニのアルバイト募集のポスターはもう無くなっていた。今後の職も給料も、全て決まっていない。
逃げたくなった。もう何も考えたくない。
生きていて文章を読んで書いていても何も生み出していない。
生きているうちには何かを生み出さなければならないらしい。
めんどくさい。
そういえば最近アルコールを摂取していないなと思った。
冷蔵庫に行こうか。冷蔵庫にビールを取りに行くことで椅子に座り続けている罪悪感もなくなるだろう。
冷蔵庫の戸を開けると、一番搾りとエビスが置いてあった。
この際、高いビールをくすねて飲んでしまおうという気持ちになった。
冷蔵庫からエビスを手に取り、しっかりと冷やされていることを確認した。
左手に缶を取り、右手の親指をプルトップにかけてカシュっと鳴る音を鼓膜に焼き付けながら開けた。
それから飲んだ。呑んだ。ひたすらのんだ。
不安を苦さと一緒に飲み込んだ。アルコールの熱さを喉に感じる前に飲み込んだ。
のんだからと言ってどうということも無い。
現実が良くなったわけでわない。気分が良くなるわけでもない。
ただ空になったエビスと、少し時間が進んだことがデスクトップに表示されているだけだった。
今日。おばあちゃんが僕を忘れた。
「こんにちは。おばあちゃん来たよ。」
今日の午後、叔父夫婦と同居するおばあちゃんを訪ねた僕は、いつも通りベッドに横になっているおばあちゃんに声をかけた。
おばあちゃんは、どことなく虚ろな目で僕を見上げていた。
おばあちゃんは、今年で95歳。耳も悪くなって視力もとても落ちている。筋力もなくなり、立てる状態ではないので、寝たきり という表現は適切ではないが食事やトイレ以外のほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。
僕は聴こえなくて、目も見えにくいんだなと思ってもう1度話しかけた。
「おばあちゃん。1番めんこのそうしが来たよ。」(めんこ は岩手の方言でかわいいという意味)
僕は自他共に認めるおばあちゃん子だし、おばあちゃんも「孫、子供の中でそうしが1番可愛い。学費も全部出す。」と言うほど僕のことが好きだ。具合が悪くても、僕が行けば必ず起き上がってお話をする。他の人がお見舞いに行っても起き上がらないけれど、僕が行くと必ず起き上がって笑顔でお話をして、次の日には「そうしが来たから治った。」って言って本当に治す人だ。
なんでこんなに僕がおばあちゃんが好きで、おばあちゃんが僕のことが好きか。
それには僕が1番大事にしているけれど、1番思い出したくない記憶に触れる必要がある。
僕は小さい頃からずっと、おばあちゃんの家に預けられていた。小さい頃というのは、本当に産まれてすぐの頃だ。僕の名前「爽志」もおばあちゃんがつけてくれた。お食い初めもおばあちゃんが執り行った。
飲食店を経営していて忙しかった僕の両親は、初めての子供で勝手が分からずに僕の世話を、息子4人孫6人の面倒をみた経験豊富なおばあちゃんに預けた。
朝、実家で起きて1時間経たないうちに保育園へ行き、買い出しついでの両親の車でお迎えをされ、そのままの足でおばあちゃんの家へ向かう生活だった。おばあちゃんの家から実家へ帰るのは、両親が経営する飲食店の営業が終わった11時過ぎだ。
僕は、小学校二年生まで過ごした時間は実家よりおばあちゃんの家の方が長い。
両親と顔を合わせるのは、朝の食事をとる1時間と保育園のお迎えからおばあちゃんの家に向かう30分だ。
両親は決して僕が嫌いだった訳ではなく、そうするしか無かったのだ。家族の生活のため。従業員のために。しかし、愛は足りなかった。目と目を見てコミュニケーションをとる時間は少なかった。
そんな僕に、毎日愛を与えて、教育をして、目と目を見てコミュニケーションをして、手を繋いで天気の良い公園までお散歩をしてくれて道端の草花の名前を教えてくれたのはおばあちゃんだった。
だからこそ僕はおばあちゃんが好きだし、尊敬しているし、感謝している。おばあちゃんもずっと一緒にいて、親の代わりをした僕を好きでいてくれた。
そんな僕におばあちゃんは言った。
「そうし。」「誰だかわがんねぇ。」
冗談だと思った。
けど、おばあちゃんの目は、本当に誰なのか分からず、初対面の人間を見る目をしていた。
やっぱり耳が聞こえないのかもしれない。さっきまで寝ていたから寝ぼけているのかもしれない。もう一度話しかけたら、ちゃんとわかってくれるかも知れない。
「そうしだよ。」「聴こえない?」聞き取りやすいように声を大きくした。
「そう…し…。」
おばあちゃんは本当に分かっていなかった。僕が誰なのか、どんな名前なのか。2人でどんな事をしたか。僕に沢山の愛をくれたことも。
おばあちゃんの中から僕は綺麗さっぱり無くなっていた。
僕とおばあちゃんが18年間のうちに過ごした時間は、もう僕の中にしか残っていなかった。
僕は、もう何も分からなかった。この次におばあちゃんになんて言ったらいいのか。おばあちゃんに僕の事を思い出してもらえる話をすればいい?僕のことを1から説明すればいい?もうおばあちゃんの部屋を出るべき?もう何も考えられなかった。
さっきも言った通り、今までなら僕がくれば風邪でも、骨折していても、僕とだけは話をしていた。一緒に暮らしてる叔父夫婦や、ヘルパーさんと話をしなくても、僕とは話をしていた。
それなのに今は。その僕すらおばあちゃんの中にはいなかった。
とりあえず僕はおばあちゃんの部屋を出た。
ちょうどお昼の時間だったので、僕、おばあちゃん、叔父夫婦でご飯を食べる。
おばあちゃんは、一緒に住んでいて、毎日面倒を見て、ご飯支度からトイレまでお世話している叔父夫婦のことも分からなくなっていた。
「これが人間なんだな。」
叔父がひとつ呟いた。
僕は思った。
人が死ぬのは肉体的に死んだときではなく、誰かに忘れられた時に本当の死を迎えるのだ。
もう誰の言葉か分からないくらい使い古された言葉だ。
この言葉は半分合っていて、半分合ってない。
人の記憶から自分が消えた場面に遭遇した時にも人は死ぬ。
もう何もかもがどうでもいい。
車の免許とか、イベントとか、未来とか。
もうどうなってもいい。
ただ1つ。おばあちゃんともう一度。話がしたい。
今はただそれだけ叶えば良い。
乾く。
エロスの前では乾く。
これからセックスをするんだなぁ。っていう相手が、反対側を向いて下着を脱ぐ時や、首に手を回して額と額でお互いの体温を確かめ合うような時。
緊張しているのか、相手の性液で自分を満たそうとするのかは、わからない。
ただ乾く。
それは、ホテルに着いてから吸った煙草のせいかもしれない。若しくは、さっきシャワーを浴びて汗をかき、体から水分が出たからかもしれない。
ゆっくりと、相手と自分の、細胞と細胞の隙間に汗が伝う。
そして、相手と目があった時に、この世の真理に気付いたように錯覚する。
あの乾きは、愛の器が満たされない乾きだったんだと。
そのまま形ばかりの愛と、むき出しの性欲をぶつければ、乾きは癒える。
失恋セックス
そのセックスにはきっとどんな音楽も似合わない。
僕がどんなにエモいのが好きだからって、tofubeatsの「水星」も違うし。相手がどんなに魅力的で眩んでしまうからと言って、椎名林檎の「丸の内サディスティック」も似合わない。
僕たちは、僕が前の彼女と付き合う前からの知り合いで、彼女が今の旦那さんとカップルだった頃からの知り合いだ。
月に一回は会わないし、2ヶ月に一回も会わない。
その時はただ「なんとなく」だったんだ。なんとなく彼女に振られた僕は、なんとなくご飯を一緒に食べてくれる人を探してた。きっと彼女もそんな感じだったんだろう。
ゆっくりうどん屋さんに入って、お昼を2人で食べた。
僕は彼女に振られたことを話したし、向こうは最近ハマってるドラマの話をしてた。
「この後どうするの?」
相手が僕に聞く。僕はこの日は髪を切りに隣町に来ていて、お昼を食べて帰るつもりだった。なのでその旨を伝えた。
「帰るよ。特に何も無いから、家に帰って寝る。」
「同級生で新しい彼女探さないの?」
「年上にしか興味ないからね。」
「暇ならさ」
「うん」
「ホテル行こうよ」
「セックスすんの?俺前の彼女ともしてないよ?急に人妻抱くのはウケる。」
「どうすんの?」
「いいよ。ホテル代出してね。」
「いいよ。そのかわり言うこと聞いてよ。」
こうして僕は彼女の車に乗り込み、ラブホテルへ向かった。
ホテルに着くと僕たちはまずお風呂にお湯を張り、それから揃ってタバコに火を付けた。
「あれ?そうくん辞めてなかったの?」
「彼女に振られたショックで復活。」
「ウケる。可愛いじゃん。」「ねぇ。チューしよ。」
「歯磨きいいの?」
「私が払うんだから言うこと聞いてよ。」
言われるがままに、唇を重ねる。彼女が舌を絡めればそうしようと思ったが、そういうチューでは無いらしい。彼女の吸うメンソールの香りの煙が唇から滑り込む。
彼女と目を見合わせた僕は、もう戻れないんだなぁと思った。
彼女は30歳のくせに、歳に似合わない笑顔を見せながら「AVみよ」って言ってきた。
僕はソファに腰掛けていて、彼女は僕の膝に腰掛けていた。
有料チャンネルをつけると、裸の男女が温泉で絡み合い、クンニの真っ最中だった。
「お風呂でこれしようよ」
「30のやる体位じゃないだろ。」
彼女の提案をいなそうかと思ったが、ホテル代は彼女持ちだった。
女の人とお風呂に入るのはいたって久しぶりだが、不思議と勃起はしなかった。
「ありゃ。彼女に振られてED?」失敬な友達だ。
「まみには興奮しないって言ってるんじゃない?」
「男子高校生なのに生意気だなぁ。」ほっぺたを膨らませながら、ゆるくウェーブのかかった長い髪が、湯に浸からないようにゴムでまとめていた。
「クンニしてよ」
僕は返事もせずに、彼女の下半身が湯から出るように持ち上げる。
「実は、今日セックスしようと思って家でお風呂はいってきたんだ。洗ってきたよ笑」
意外と可愛いじゃん。言葉には絶対出さないけど。
彼女の下半身は、お湯なのか、僕の唾液なのか、彼女から溢れるものなのか、わからないが濡れていた。不快な臭いはなく、すんなりとバラのような香りがした。
ひと通りクンニをすると、
「ベッドいこう」と言われた。僕はホテル代を払わないので、そういうことになる。
お風呂から上がった僕らは、薄いガウンをまといベッドに横になった。
僕は紳士で、ムードを大切にする人間だ。しばらくの間、僕とまみはうどん屋の会話の続きをした。何で別れたのかとか、さっきのクンニが上手くなかったとか。
「キスしてよ」
「チューとどう違うの?」僕は純粋にわからなかった。
「ムードで決めるの」
なるほど、僕はまだ紳士で、ムードを大切にできていないようだ。
ゆっくり舌を絡ませながらも、僕は彼女のガウンの紐を解いた。
ゆっくり下に落ちるガウンの速度よりもゆっくりと、僕は彼女の首筋に舌を這わせる。
ゆっくりと丁寧に、なるべく前の彼女を忘れて、今この場所にあるセックスという事象に没頭するように。
急に彼女は、僕らの上下をひっくり返してきた。
今までは彼女が下で、僕が上だったのに。この一瞬で僕が下で彼女が上だ。
「旦那と2年もしてない。たまには襲わせてよ。」
いうより早く彼女は僕の体に馬乗りになって、すっかり僕は身動きが取れない。
彼女の愛撫は、ちょっぴり早いけどムードがあった。
あんな事やこんなことで、前戯をじっくり楽しんだ僕らは、ゆっくりと本番に移った。
何の打ち合わせもなく、うどん屋のような会話もしていないけれど、僕らは自然と対面座位になっていた。彼女の膣の温度をゆっくりと感じながら、上下に動くことはなく。僕らは、1つになったままゆっくりとキスをした。きっとあれはチューではなくキスだった。お互いに愛を奪おうとするようなキスだった。きっと僕はこのキスを忘れないだろうと思う。けれど、前の彼女のことも好きだなぁと心のどこかで思っている自分の影も感じた。
もしセックスが、「先にイカせてあげた方が勝ち」っていうゲームなら今回は僕の勝ちだ。
彼女が2回目の頂上に着く前に僕も果てていたけど。
ゆっくりとコンドームを外した僕らは、挿入はせずに対面座位のまま抱き合った。彼女の背中はスベスベしていた。そのまま10分くらいそうしていた。
それから2人でお風呂に向かった。
学校の話や、今度旦那を誘ってみるっていうような話をした。きっと僕はまだ前の彼女が好きなままだ。って言ったら、まみは優しく額にキスしてくれた。
お風呂から出た僕らは、また一本煙草に火をつけて、めんどくさい事情も置き去りにしてホテルを後にした。